時々、自分がしているのは子育てなのか?と考えるときがあります👦👶
どんなときに思うかというと、休みの日に子供と一緒にいるときが多いような。
特に家で一緒にいるときが多いように思います。その間、ときどき妻が外出して、妻いわく気分転換にもなるし助かると言ってくれる。
でも自分がしていることは例えば、子供たちが遊んでいて、話しかけられたら今やっていることを中断して話を聞く。話が終わって子供が遊びに戻ったり違うところにいったら自分のやっていることを再開する。
子供たちが〇〇しよう(遊ぼう)ときたらそれを一緒にやる。
たまにご飯を用意して一緒に食べたり。
また、子供が遊んだり、本を読んだり、テレビやYoutubeをみて笑顔になっているところをぼ~っとみていることも。
育てるというより一緒にいるという感覚のほうが強い。
そんなことを思い始めてから、ブログのタイトルも「アオダイの子育てブログ」から「アオダイのブログ」に変えたりもした。
Wikipediaによると、「子育て(こそだて)とは、子を育てることである。(出典:広辞苑)」とある。
ふむ。他も調べてみよう。
長男6歳の『三省堂 例解小学国語辞典』によると、「子どもを養い育てること。」となっている。
なお、同辞典で「養う」を調べたところ、「養う:育てる。また、世話をする」となっており、「育てる」を調べたところ、「育てる:生き物の面倒をみて大きくする。」となっていた。世話を調べると「世話:面倒を見ること」。
さらに、「面倒(めんどう)」を調べると、「面倒:手数がかかること。わずらわしいこと。」とある。
そうすると、辞書的には、『子育ては、子供の面倒(手数がかかるし、わずらわしいこともある)をみながら大きくすること』ということになるのでしょうか。
こうみると圧倒的に妻が子育てをしていると感じる。子供の面倒は必然的に子供と一緒にいる時間が長ければ長いほど多くなるし、平日の子供の着替えや食事や遊び相手や宿題に習い事、お風呂、寝かしつけ、夜泣きなど考えると、圧倒的に。
『働くことも子育てだ』これは働いている人(特に男)から時々聞く言葉。
俺たちだって一生懸命家族のために働いていてこれだって子育ての一部だろ!という考え。
確かにそうかもしれない。ただ私の場合は、そこまで家族のために働いているという感覚もない。仮に子供や妻がいなくて、一人だとしてもおそらく働いていると思う。働くのがめんどくさくなってブラブラする時期があるかもしれないけれど、生活保護に頼るかもしれないけれど、働いている可能性のほうが高い。
独身であればもっと気楽に(?)働けるとか、気楽にお金が使えるとかもあるかもしれない。家族がいるから我慢して働いている部分もあるんだと。
人によってはそうだと思うが、これも私の場合家族がいるかどうかでそこまで大きくは変わらない気がする。むしろ独身だったら毎日泥酔しまくりで何かトラブルを起こしたり、警察沙汰になったり、もしくは内臓がやられて今頃病院だったかもしれない。変な投資詐欺に引っかかって大損して自暴自棄になっていたかもしれない。
自分の性質を考えると、家族がいるから働けているというのが正しいように思う。
そうすると働いているから子育てしているという感覚にもなりにくい。そして、「子育て」を「子供の面倒」の質と量でみる場合はよりその感覚にならない。
子育てってなんでしょう。これという明確な答えもなくて、それぞれの家庭でその形は変わるのでしょうか。
そんなことぼ~っと考えてないでさっさと手を動かして家事をやって子供の面倒見らんかいというツッコミが脳内で聞こえてきました。
子育てになっているかわからないけれど、できるだけ子供と一緒にいられる時間を大切にしたいと思います🌈🌈

